Flaneur DATAGLASS PROJECT 2004
博物館[MUSEUM]はその語源にMuse(詩神)を祀る館、つまり詩神のための神殿を意味しました。世界の様々な時代や地域の詩神達の痕跡が集められ展示されている場所です。さてそれらの「物」ですが、現代物理学によれば、物質を極限にまで分解して行くと、それは、光やエネルギーとなって開放されるといいます。例えば一枚の地下鉄の切符でさえその質量の全てをエネルギーとして開放すれば、電車で地球を一周することができる程のエネルギーが秘められています。逆にいえば「物」とは膨大な光を集めた結果であると言えます。また最新の脳科学では、「心」とは脳細胞間で行われる微弱な電流のキャッチボールの積み重ねであり、電流と光は同じ電磁波の一種であることから「心」とは脳を駆け巡る光であるとも言えます。私達は、これら2つの光に、さらに第3の光、つまり電子的な光である「映像」を加えてみたいと思います。今回、島津製作所により開発された、小型HMD[DataGlass2]を用いた博物館での展示を行います。観客は展示されている様々な「物」をHMDの映像越しに見ることになります。そこでは、電子的な光を媒介にした物質と心の新しい出合いが試みられ未来の詩神の誕生の兆しを感じることが出来るかもしれません。
思えば、Museとは「物思いに耽る」という意味もあります。博物館のほの暗く静かな空間で「 物 」「 心 」「 映像 」が織り成す、未来の詩神の気配を得ることができればと思います。
記憶は過去を探知するための用具ではなく、その現場なのである。大地が、死滅した都市が埋もれている媒体であるのと同じように、記憶は体験された過去の媒体である。埋もれた自分の過去に近づこうと努める者は、発掘する男のような姿勢をもたねばならない。これが真の想起の作業の主調を、態度を規定するものなのだ。(「ベルリン年代記」ヴァルター・ベンヤミン)
私達は、世界中の博物館や美術館に膨大な量の記憶を蓄積しています。
また、近年の映像技術の進歩は、イメージによる新たな記憶の蓄積を始めています。
私達は、この2つの記憶を重ねてみようと思います。
鑑賞者は、それぞれ携帯用の眼鏡型ディスプレイとコンピューターを身に付け、博物館内の展示物を鑑賞します。
今回、コンピューターに収められた映像も、展示される物も共に作者により作られ、あるいは、選ばれたものです。ここで私達は、記憶と新しい技術との出会いに導かれ、過去と現在とが重なり融けあう、秘められた詩を見つけだせるかもしれません。
本学附属博物館の展示システムをそのまま使用します。
施設、設備等の改変を行いません。
来館者は入口で、島津製作所により開発されたデータグラスという小型軽量のヘッドマウントディスプレイと携帯コンピュータを装着し、入館します。もちろん、未装着での入館も可能です。館内には様々な「物」が展示されています。これらは展覧会参加作家の意図によってそこに置かれています。そして鑑賞者がその「物」を見ることはもちろんですが、今回はデータグラスにより同じ作家によって制作された「映像」を重ねて見ることが出来ます。
ほの暗く静かな博物館内では、二種類の鑑賞者達が交差します。「物」を見つめ、鑑賞する人。そして「映像」を重ねることで別の発見に見入る人。共に作家によって置かれ、用意された、「物」と「映像」とが博物館の空間の中で交差されます。それらの行為は作者と鑑賞者が共に混ざりあって、なにか新しい詩を見つけ出すような、少し不思議な体験となり得たと思います。
日時 : | 2004年9月19日(日)〜 9月30日(木) 期間中入場者:約200名 |
場所 : | 京都嵯峨芸術大学附属博物館 |
制作 : | DATAGLASS PROJECT 2004 プロジェクトメンバー(敬称略、五十音順) 荒堀 香織 京都嵯峨芸術大学メディアアート分野 4回生 |
協力 : | (株)島津製作所 航空機器事業部 |
主催 : | 京都嵯峨芸術大学 |